2019年12月3日火曜日

タシギ


武山秀一   横浜市戸塚区

野鳥の会に入会して間もない1991年9月、座間市新田宿の休耕田に出かけた。
秋雨の時期が近かったため曇り空ではあったが、はたして、小雨が降り始めた。こんな雨降りでは、何も出ないだろうなと思いながら、車で幾つかの休耕田を廻って、チラッと見ては次と繰り返していると、一つの田んぼで何か動く気配を感じた。引き返すと、20羽ほどのタシギが夢中で採食している。車の直ぐ側で、驚いて飛び立つこともなく夢中で採食している群れに、しばらく、目を奪われて見入ってしまいました。しかも、肉眼でハッキリ観察出来るし、双眼鏡では視野いっぱいに羽色の詳細が広がり観察出来るのでした。
こんなに多くのタシギの群れを見たのは、この日以来ありません。
渡りの途中でお腹が減っているとはいえ車を気にもせず採食する様子に、秋雨が私にくれたプレゼントの様に感じました。
この出来事も、私をシギチ好きにしてくれた一つなのかなと思うのです。
古いフィールドノートを見て、今でも忘れられない宝物の一つなのかなと思うのです。



シベリアオオハシシギ


武山秀一   横浜市戸塚区

野鳥の会に入会した1991年8月22日の谷津干潟探鳥会は忘れられない一日となった。今日はシベリアオオハシシギが来ている様ですと幹事さんから話しがあったものの、メダイチドリもダイゼンもキアシシギも同じに見えるのに、この広い干潟からどうやって見つけるのだろうと思っていた。すると、東京湾への導水路がある橋の手前の所に、凛と胸を張ってたたずんでいるではないか。買ったばかりの小さい双眼鏡でもハッキリ観察出来た。こんなに近くにいてくれた事と自分の双眼鏡で観察出来た事が嬉しく、感動と驚きでいっぱいだった。その時は、この鳥がどれほど珍しいかも知らなかったけれども、私をシギチ好きにしてくれたきっかけ鳥の一つであり、この日は今でも忘れられない私の宝物である。
あれから、二度目の出会いは無いけれども、遠くバイカル湖の近くで子孫を繋いでいてくれる事だろうと夏が来ると思い出すのである。





2019年4月2日火曜日

光陰矢の如し ⑵


 先ず 下の映像を御覧下さい。



 これは私が8ミリビデオで撮影したタゲリなんですが、その撮影場所というのが茅ヶ崎でもなければ平塚、小田原でもありません。実は横浜市内、小机の水田なのです。正確なデータは無いのですが、おそらく1990年代の映像かと思われます。
かつての小机の水田地帯で夏のスターがタマシギだとしたら冬のスターは間違いなくタゲリでした。小机では1989年12月に13羽という記録が残っていて、当時は横浜市内でも安定した越冬地だったのですが、今となってはまるで伝説、日本昔ばなしとなってしまいました。
 当時の小机の水田地帯があった場所は現在の新横浜公園にあたります。公園は運動公園がメインですが、公園内の池には冬になるとカモ類などが渡来するなかなか面白い場所です。環境は当時とは一変してしまい、見られる種類も変化してしまいましたが、何か鳥たちが集まる地理的な条件などあるのかも知れません。




2019年4月1日月曜日

光陰矢の如し ⑴

 小机といえば横浜スタジアムを含めた新横浜公園で知られる場所ですが、かつては鶴見川とその周辺の水田地帯が広がる県内有数の探鳥地でした。当時の小机を代表する鳥といえばタマシギ。とにかくタマシギが見たくて当時神奈川支部から出版された”神奈川の野鳥”を便りに目指す田園地帯のポイントに向かったのは1980年代のことだったと記憶しております。運よく現地では観察を続けている”小机自然の会”の方々と出会い、いろいろお世話になりましたが、特にお弁当を分けて頂いたことは今でも忘れておりません、そして、その後も私の探鳥生活にこのグループからは多大な影響を受けることになります。
 水田にタマシギが現れると、ここで普通なら畦道沿いにスコープ、三脚が横に並んで水田を見るパターンなのですが、生長した稲の列に遮られ、一台のスコープを交代で覗くような不便な観察ではありました。しかし、タマシギのコーヒーブラウン(勝手にそう名付けさせて頂きました。)の深みのあるうなじの色は埋め合わせて余りある印象深いものがありました。実際タマシギとの出会いの記憶が、初めて小机に降りたこの日だったのか、この数年後にこのグループに私が入会した頃のことだったのか、記憶が若干曖昧なところはあります。 
 先月(2019年2月)何年振りかでJR小机駅に鳥見に出かけました。現在では水田も畑地も姿を消してしまい、当時の面影は全くといって無く、私の土地勘を消去させていました。スタジアム側から公園に入ったのですが、道に迷ってだいぶ遠回りをしてしまいました。お恥ずかしい。